渡邊渚の本名は?
渡邊渚(わたなべ なぎさ)さんの本名は、芸名と同じく「渡邊 渚」です。特に芸名を使用しているわけではなく、本名で活動されています。
幼少期はどのように過ごしたのか?
1997年4月13日、新潟県阿賀野市で生まれた渡邊渚さんは、小学2年生まで同地で過ごしました。家の周囲は田んぼに囲まれ、庭にキジが訪れ、クマが現れるなど豊かな自然の中で育ちました。下校時には友人と田の畦道を歌い歩き、近くの小川でザリガニを釣るなど、田舎ならではの経験をされています。
幼少期に父親は単身赴任していましたが、2004年に発生した新潟県中越地震を機に「家族一緒に生活したい」と両親に伝え、愛知県名古屋市で3年間を過ごしました。その後、11歳からは神奈川県横浜市に移り住みました。中学時代は剣道部に所属し、スポーツにも積極的に取り組んでいました。
学生時代の活動は?
慶應義塾女子高等学校に進学した渡邊さんは、高校時代にビジネスコンテスト「キャリア甲子園」に出場し、「2020年にする仕事」というテーマでプレゼンテーションを行いました。また、バレーボール部に所属し、スポーツにも励んでいました。さらに、漫画『ちはやふる』の影響で競技かるたにも興味を持ち、取り組んでいたそうです。
その後、慶應義塾大学経済学部に進学し、乗馬同好会に所属。大学1年時には「ミス慶應コンテスト2016」のファイナリストにも選ばれましたが、コンテスト自体は中止となりました。また、大学在学中に佐久間みなみさんとともに生島企画室に所属し、タレント活動も行っていました。
フジテレビ入社後の経歴は?
2020年4月にフジテレビにアナウンサーとして入社した渡邊さんは、同期に佐久間みなみさん、德田聡一朗さんがいます。同年9月5日から『もしもツアーズ』の4代目ツアーガイドとして起用され、9月28日からは『めざましテレビ』に出演し、担当する月、水、金曜日は午前2時過ぎに起床する生活を送っていました。2022年3月26日に『もしもツアーズ』4代目ツアーガイドを降板し、2023年1月12日からは『ぽかぽか』に木曜進行アナウンサーとして出演していました。
体調不良とフジテレビ退社の経緯は?
2023年7月17日に体調不良のため入院し、しばらく休業することが『めざましテレビ』で伝えられました。その後、10月に『ぽかぽか』を降板し、10月22日にInstagramで自身の健康状態を報告しました。具体的には、「食べられなくなった。うまく歩けなくなった。うまく指が動かなくなった」などの症状を明かし、「幸せを諦めずに生きる。社会復帰できる日を目指して、ゼロから小さな努力をコツコツ積み重ねていく!」と前向きな姿勢を示しました。
10月27日、フジテレビの港浩一社長は定例社長会見で渡邊さんについて「退院して通院、治療中です」と説明しました。その後、8月23日にフジテレビは「渡邊本人の希望により同月31日をもってフジテレビを退社する」ことを発表しました。渡邊さんは「病気を治して今までみたいに働きたいと思っていた時期もあった」「どうやっても昔のように戻らない現実があり、それを受け入れるのに勇気が必要だった。今後は今までと違った生き方をしたい」と述べました。
現在の活動は?
フジテレビ退社後、渡邊渚さんはフリーランスとしての活動を開始しました。2025年2月には公式ホームページを立ち上げる予定であり、これまでのアナウンサー経験を活かした仕事を続けていくことが期待されています。また、SNSではファンとの交流を大切にしており、今後の展開にも注目が集まっています。
現在の具体的な仕事についてはまだ明らかになっていませんが、フリーアナウンサーとしての活動や、タレント・キャスターとしての仕事が考えられます。さらに、企業のPRやイベント司会、YouTubeやラジオなどの新しいメディアへの進出の可能性もあるでしょう。
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